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カウンタック ショートエッセイ

1975_lamborghini_countach_lp400_left_side_intake_and_rear.jpegそのクルマは、観衆に衝撃を与えた。クサビ形の思い切り低く広いボディは、未来からきたクルマのようだった。

今もスーパーカーの代名詞的存在である「ランボルギーニ・カウンタック」。車名はランボルギーニ社があったピエモンテ地方の方言で、驚きを表す感嘆詞に由来する。

カウンタックの独特のスタイリングを手がけたのは、当時ベルトーネに籍を置きこの後さまざまなスーパーカーをデザインした鬼才、マルチェロ・ガンディーニ。

フロントノーズとフロントウインドーはほぼ一直線にたちあがり、一部だけ開くサイドウインドー、バックミラーにはペリスコープ(潜望鏡)を採用していた。ドアは前端をヒンジに上方に跳ね上がって開いたのだった。

カウンタックが登場したのはジュネーブ・ショーであった。プロトタイプで悩まされたオーバーヒート対策としてリアまわりにダクトを増設。4リッターのV12はミウラのものと基本的には同じ。

ミッションはエンジンの前方にマウントされるというドライブトレインのレイアウトも独特。可能な限り巨大なV12気等エンジンをコンパクトに収めるための工夫である。

プロトタイプでは前衛的だったインテリアは、多少は一般的?にアレンジされた。インパネには、メーターが並ぶ。「カウンタックに乗っている」という楽しみ以外は、パッセンジャーに快適性はないのだ。

カウンタックはLP400から、LP400S(77年)、LP500S(82年)、5000クワトロバルボーレ(85年)、アニバーサリー(88年)と進化を続けるが、その斬新なスタイリングはほとんど変わらなかった。

90年にディアブロにバトンタッチするが、スタイル、パワートレインなど基本的にはオリジナルカウンタックを踏襲している。スーパーカーの王者は今もなお“カウンタック”なのである。

カウンタック ストーリー 3

lp400red.jpegカウンタックをとてもエキゾチックにしているその最たるものは、ルックスでした。くさび形の全体形、そして、ガルウィングドア、NACAダクトと四角いポップアップヘッドライトのような特徴は目をみはらせるだけでなくて、未来的に見えもしました。

カウンタックが目にとびこんできたとき、2つの印象がすぐに与えられます。まず第1に、世界の他のどの車よりも低いのでは?ということです。実際のところ、高さ42.1インチであり、カウンタックはフォードGT40とロータスエスプリを除けば歴史で最も低い車でした。

しかし、主観的には、それらよりさらに低いように見えました。

第2の印象、それは、速くとても強力に違いない、ということです。425馬力7リットルのV8により、GT40のレースバージョンは、出力で実際にカウンタックを凌いでいましたが、GT40はその柔らかな曲線で包まれたスタイリングが見た目の印象を和らげていました。

それとは逆に、オリジナルカウンタックは50馬力少なかったが(375馬力)、スタイル上のインパクトにより、40mphは速く見えました。したがって、ランボルギーニがジュネーブショーで「200mph以上の最高の速度」をうたったとき、大部分のジャーナリストはそれが本当にそうすることができると思っていました!

この巧妙なデザインは、マルチェロ・ガンディーニによって作られました。ランボルギーニミウラとウラッコのようないくつかの傑作をへて、彼は全ての才能を示す機会に飢えていました。

フェルッチオ・ランボルギーニ(ガンディーニの前の作品に非常に満足していました)は、彼にこの貴重なチャンスを与えました。


なぜ貴重か?


カウンタックが実用性やコスト以上に、スタイルとパフォーマンスを重視していたので、デザイナーの力を制限せずに設計する、完全な自由を与えたからです。

ガンディーニは、我々を失望させませんでした。彼のカウンタックLP500プロトタイプは、ジュネーブショーで圧倒的な注目をひきました。生産が1990(生産開始から、19年後です)年に止まる時点でも、それはまだ新しくて魅力があるように見えました。デザインがこれほど未来的でなかったならば、そのような業績は不可能だったでしょう。

カウンタック ストーリー 2

生産のためには多くの検討がなされる必要がありました。ガンディーニのデザインには、現実的には各種の問題がありました。メインテストドライバー、ボブ・ウォレスが秩序だって問題を片付けたとき、いわゆる「NACA」ダクトがエンジン冷却のために十分な空気を吸い込むために各々のドアの後に加えられました。

一対の大きい「エアインダクションボックス」が、同じ目的のために側面のウインドウの後にも加えられました。しかし、最も重要な仕掛けのうちの1つ、ガルウィングドアは、カウンタックのユニークな特徴として保持されました。

lp400gold.jpeg

ランボルギーニが1973年のジュネーブショーで再び車を示したとき、それは生産型により近かったのです。その次の年のジュネーブショーでは本当の生産型カウンタックを示しました。

そして、それは当初の5リットルの代わりに、およそ4リットルのV12を採用したので、LP400と呼ばれていました。より大きな5リットルエンジンは、技術的な困難のため、捨てられました。

LP400では、ヒート対策のためボディに多数のエアインテーク、アウトレットが設けられました。LP500のエンジンは5リッターであったが、より扱いやすい4リッターに換装されました。また、車体構造はテストドライブの際に剛性不足と判断されたため、セミモノコックからバードケージ(鳥かご)フレームにアルミボディを載せるデザインに変更されたのです。

これにより、剛性の向上と軽量化を同時に果たしています。マルチェロ・ガンディーニのオリジナルデザインに一番近い生産型であるLP400は、わずか150台しか生産されませんでした。

1974年4月に、最初のカウンタックは、ミラノの顧客に届けられました。

カウンタック ストーリー 1

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カウンタックのプロトタイプです。

フェルチオランボルギーニは彼自身のスポーツカー工場を設立することを決定しました、彼の心の唯一の考えは以下の通りでした。

フェラーリをやっつけろ!

3年以内に、彼はミウラ(美しく並ぶもののないスピードをもったミドエンジンV12スーパーカー)とそうしました。

最初のゴールにかなって、彼の次の夢は、これまでで最も速いスーパーカーを作製することになっていました。その車はどんな既存のルールに縛られないものでなければなりません。

したがって、彼はこの車を「カウンタック」と呼びました。この言葉はちゃんとした意味を持たなかったけれども、それは「感嘆」のローカル方言でした。それの意味するところはこうです。

「おや!!わあ、しかも見てください!」。

ミウラ、世界最速の車は、172mphを狙うことができました。カウンタックは、200mphを狙いました。そのスタイリングには誰でも気絶させることができるような演出をしなければなりません。これらの2つの基本的なゴールをするつもりで、フェルッチョ・ランボルギーニは、彼のエンジニアリングチームにプロジェクトを始めるよう命令しました。

カウンタックはチーフエンジニア パオロ・スタンツァーニの指揮下で開発されました。そして、若干の技術的な背景はミウラからひきつぎました。

設計図は、ジャンパオロ・ダラーラ(Formula 3のための有名なシャシーの専門家)によって書かれました。最初から、スタンツァーニは躊躇なく(最も高価でもある)多くの先進技術を選びました。そして、以下が含まれました:4本のカムシャフト、スペースフレームシャシー、アルミニウムによるV12ミドエンジン。

ほとんど同じ時期に、ベルトーネスタジオが、スタイリング担当に選ばれました。非常に幸運なことに、ヌッチオ・ベルトーネは若くて巧みなデザイナー(マルチェロ・ガンディーニ)をすでに手に入れていました。この男は、カウンタックのための本当に衝撃的なプランをつくりました。

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エンジンを搭載していない、いわゆる「カウンタックLP500」プロトタイプはジュネーブモーターショー1971で公開されて、すぐにショーのスターになりました。
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