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動画 カウンタック・リバース

ランボルギーニ・カウンタックといえば、「カウンタック・リバース」というくらい、有名なこのワザ。カウンタックの後方視界はめちゃくちゃ悪い(というよりない)ので、バックするときは、ドアを跳ね上げて、幅広いサイドシルに腰を据えてバックしないと車庫にいれられません。屋根つきだと、跳ね上げたドアが屋根にヒットしないように気をつける必要もあります(うーむ不便だ)。

後方視界が悪いのは「前だけ向いて攻めろ」という開発者のメッセージなんでしょうか。真後ろだけなら見えるようですが、斜め後方などは全く見えないので、単車の巻き込みなどにご注意。

というふうに、説明しても、いまいち伝わらないため、動画をみつけてきましたのでご覧ください。



 この「カウンタック・リバース」は、後継機ディアブロでも応用できますし(というかそうせざるを得ない)、さらにそのあとのムルシェラゴでもできます。ただし、ムルシェラゴの「e-ギア」と呼ばれる2ペダル・モデルはドアが開くと自動的にギアをニュートラルにしてしまいます。ドアを開けたままバックするな、というメッセージでしょうか。

確かに安全上は相当に問題があるとは思いますが、実はこの方法が一番安全なのかもしれません。カウンタック・リバースを封印されたムルシェラゴe-ギアのバック走行は相当に過酷であることが予想されます。

正直言って、街中でカウンタック・リバースを見せられたら、単にかっこつけているだけだと勘違いされそうです。実際はこれをやらないと安全にバックさせられないため、必然的にやっているわけですが、何事も実地に体験してみないとわからないものなので誤解されるのは仕方がないですね。

カウンタック ショートエッセイ

1975_lamborghini_countach_lp400_left_side_intake_and_rear.jpegそのクルマは、観衆に衝撃を与えた。クサビ形の思い切り低く広いボディは、未来からきたクルマのようだった。

今もスーパーカーの代名詞的存在である「ランボルギーニ・カウンタック」。車名はランボルギーニ社があったピエモンテ地方の方言で、驚きを表す感嘆詞に由来する。

カウンタックの独特のスタイリングを手がけたのは、当時ベルトーネに籍を置きこの後さまざまなスーパーカーをデザインした鬼才、マルチェロ・ガンディーニ。

フロントノーズとフロントウインドーはほぼ一直線にたちあがり、一部だけ開くサイドウインドー、バックミラーにはペリスコープ(潜望鏡)を採用していた。ドアは前端をヒンジに上方に跳ね上がって開いたのだった。

カウンタックが登場したのはジュネーブ・ショーであった。プロトタイプで悩まされたオーバーヒート対策としてリアまわりにダクトを増設。4リッターのV12はミウラのものと基本的には同じ。

ミッションはエンジンの前方にマウントされるというドライブトレインのレイアウトも独特。可能な限り巨大なV12気等エンジンをコンパクトに収めるための工夫である。

プロトタイプでは前衛的だったインテリアは、多少は一般的?にアレンジされた。インパネには、メーターが並ぶ。「カウンタックに乗っている」という楽しみ以外は、パッセンジャーに快適性はないのだ。

カウンタックはLP400から、LP400S(77年)、LP500S(82年)、5000クワトロバルボーレ(85年)、アニバーサリー(88年)と進化を続けるが、その斬新なスタイリングはほとんど変わらなかった。

90年にディアブロにバトンタッチするが、スタイル、パワートレインなど基本的にはオリジナルカウンタックを踏襲している。スーパーカーの王者は今もなお“カウンタック”なのである。

ウルフ カウンタック

WolfCountach-12.jpegカナダの石油王、ウォルターウルフのオーダーに従って1975年に製作された、カスタムメイドのカウンタック。LP400をベースとしながらも5リッターエンジンを搭載。ゆえにLP500Sと言われます。

WolfCountach-11.jpeg3台ほどあり、うち1台は日本にあるようです。

カナダの石油王、ウォルターウルフは、1976年にフランク・ウィリアムズのチームに出資していたが、チームの権限がほとんどウルフのものとなり、1977年にウィリアムズはチームを離脱して新たにウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリングを設立しました。結果的にウィリアムズの持っていた設備等を継承する形で、ウォルター・ウルフ・レーシングが誕生したのです。

ウォルター・ウルフは熱狂的なランボルギーニ・マニアであり、ランボルギーニの経営に乗り出そうと計画したほどでした。そんな彼の耳にカウンタックがついに発売されるという話が入るのには、そう時間はかからなかったわけです。

彼はすぐさまオーダーを入れ、LP400の量産2号車を手に入れました。しかしプロトタイプより1リッター縮小されたエンジンに不満を持ち、ウルフはプロトタイプに搭載されていた4971ccV12エンジンを搭載したカウンタックを製作することを依頼。その結果、このカウンタックは大きな可変ウイングとオーバーフェンダー(後にLP400Sにも採用)、ブラーボというコンセプトカーからひきついだホイール(後にLP400Sにも採用)に、ピレリ製超扁平タイヤを装着しました。

こうして最終的に3台製作された特注のカウンタックは通称「ウルフ・カウンタック」と呼ばれ、後のLP400S、500S、5000のプロトタイプ的存在、幻の存在として語られることとなる。ちなみに5リッターのエンジンは1号車から2号車、3号車へと乗せ変えられたため1基しか存在しないといわれています。1号車、2号車は後に通常のLP400のエンジンに載せ換えられています。




ランボルギーニカウンタック 5000QV 1985-88

5000qvwhite.jpeg

1985年に、ランボルギーニは、カウンタックを大きく改良しました。

V12は5,167ccとなり、4-バルブシリンダーヘッド(イタリア語の「Quattro-valvole」すなわち「QV」)となり、合計48バルブ。パワーは455hpまで引き上げられ、トルクは369 lbftへと強化されました。

カウンタックはオリジナルのLP500プロトタイプ(それは5リットルから440hp程度を発生していたはず)よりも大パワーを手にいれたのです。

200mphの夢、これは達成されませんでした。ただし、その切り裂くようなエアロダイナミックボディがLP500Sから事実上不変だったために、5000QVが200mphで走りそうな印象があり、人々はそれだけでハッピーになれました。

実力としては、180mph以上でしょう(とはいえ、世界中で最も速いクルマのひとつです)。他のライバルがそれよりはるか下でしたが、フェラーリ288GTOおよびテスタロッサは多かれ少なかれ同じ最高速度でした。

LP500Sのエンジンに匹敵する、48-バルブQVユニットは非常に強力であり、宝石のようでした。パワーアップは、48個のビッグバルブおよび、水平から垂直に位置を変えられたウェーバーキャブによって、達成されたのです。

よりストレートに吸気させるためのキャブの配置変更ですが、これは、エンジンリッドの上に大きなバルジをつけざるを得なくなり、もともと少ない後部視界がさらに失われました。


他の小さな変更としてフロントリッドおよびエンジンリッドは、ケブラー製に、P7タイヤはP7Rへと変更されました。

5000QVは、カウンタックの16年の歴史の中で、最良のバージョンとして一般に認められています。従って、マニアの間でもひっぱりだこであり、1000万〜1500万くらいで取引されています。購入してからも年間維持費が100万〜150万ほどかかると考えておいたほうがよいでしょう。


カウンタック LP5000S

lp500sfront.jpeg200mphという、もともとの目標に対してテストするとき、カウンタックはモータージャーナリストを再三失望させました。 LP400Sは160mphでしかなく、前モデルである空力の優れたミウラより遅かったのです。

しかしながら、会社の財政が不安定(カウンタックをリリースするすぐ前に、フェルッチオ・ランボルギーニは彼の会社を売却。以降、会社は頻繁に持主が変わった)だったため、新しいカウンタックは1982年まで待たなければなりませんでした。

LP5000Sは4754ccとなり、3.5mmのボアアップと7mmのストロークアップによってグレードアップしたエンジンでした。

最大トルクは302lbft/4,500rpmでした。より厳しい排ガス規制により、パワーは375馬力を超えませんでしたが、 最高速度はおよそ165mphに上がりました。
0-60mph(100Km/h)は5.6秒となり、このV12は確実にカウンタックの性能を向上させました--。

ボディーを含めた他の部分は変化が全くありませんでした。 屋根は、上の空間を30mm増加させましたが、ボディーは実際にはLP400Sと同じでした。

主に北米をマーケットとしたLP500S(現地ではLP5000Sと呼ばれた)は323台が生産されたのです。その後1985年には「BB」から「テスタロッサ」に代わったライバルを追って、最強バージョンLP5000QV(クワトロバルボーレ)が登場しました。5167ccの排気量を持つDOHC48バルブエンジンは455PSを発生(ちなみにテスタロッサは390PS)し、632台生産されています。

クルマの値段としては、ヨーロッパ中古車市場では、動く状態で400万円程度からあるようです。しかしこのレベルでは普段きちんと動くようにするのにその倍はお金を投入する必要があります。1982年式LP5000Sは、最低800万円以上払えばまともなものが入手できるといわれています。


カウンタック LP400S

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ダラーラのおかげで、変更されたLP400は1978年に発表されました。ダラーラは当時ランボルギーニのコンサルタントとして働いていました。 最も重要な変化はピレリの新しいP7高性能タイヤの採用でした--フロント205/50VR15とリア345/35VR15!

どんなロードカーもそれまでにこの345mmのP7のようなワイドリアタイヤを使用していたことがなかったはず。 今日までさえ!

最新のロープロファイルの技術により、乗り心地を悪化させないで、グリップはかなり増加しました。 今、カウンタックは物凄いパワーを受け止める正しいタイヤを手にいれました。 よりワイドなタイヤを収容するために、グラスファイバーで作られた拡張ホイールアーチ(それは攻撃的な感じを高める効果もあった)が加えられました。 エアダムも加えられました。

V-形の巨大なリヤ・ウィングが高速安定性のためのポピュラーなオプションとして記載されていました。それは見た目の攻撃性を増やすという効果もありました。

たいていの人はウィングを好みました。それが10mphほど最高速を下げるにも関わらずです。 翼がなくても、LP400Sには、広くされたタイヤとオーバーフェンダーのおかげで、LP400よりかなり高い空気抵抗がありました。

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V12が変更なくキャリーオーバーされたので、最高速度を必然的に悪化させました。 また、車両重量も50キロ増加したので、加速は悪化しました。 しかしながら、トータルの性能で、LP400Sは私たちを決して失望させません。

明らかに、ランボルギーニは、空前のスーパ-カーには速度に合うハンドリングがなければならないのを知っていました。 既に言及されるように、V12は全く変えられませんでしたが、表記を正確にすることにより353馬力となりました。



カウンタック LP400

lp400redrear.jpeg今日、一番最初のカウンタックがオーバーフェンダーもなく、とても純粋であったと驚き感じることができます、

エアダムもなく、細いタイヤとウィングのないフラットなエンジンフード。 確かに、これはガンディーにの精神に最も忠実です。

装着されたミシュランXWXタイヤは、今日の基準では驚きの14インチの直径、70%のプロフィール、フロント205mmの幅とリア215mmでは、明らかに、このようなスーパ−カーに不適当でした。

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しかしながら、このために、LP400には後継者より良い空力を備え、最高速度が実際にLP400SとLP500Sより上でした。 また、別のユニークな特徴がLP400にはありました。正常なバックミラーの代わりに、潜望鏡が屋根の上に独特の溝を切られ、セットされていました。

LP400では、ヒート対策のためボディに多数のエアインテーク、アウトレットが設けられました。LP500のエンジンは5リッターであったが、より扱いやすい4リッターに換装されました。また、車体構造はテストドライブの際に剛性不足と判断されたため、セミモノコックからバードケージ(鳥かご)フレームにアルミボディを載せるデザインに変更されたのです。

これにより、剛性の向上と軽量化を同時に果たしています。マルチェロ・ガンディーニのオリジナルデザインに一番近い生産型であるLP400は、わずか150台しか生産されませんでした。

LP400は、今日もっともオリジナル度の高いカウンタックとして大変希少なモデルです。日本にも何台か生息しており、自動車評論家ボンジョルノ西川氏の黄緑色の所有車や、ボディショップ・ランアンドラン関口氏の所有車などが有名です。今でもイベントなどでその勇姿を拝むことができます。

375馬力のパワーで1070キロのボディをひっぱるため、遅くないわけがありません。きちんと整備されたカウンタックLP400は、スーパーカーの名に恥じない走りを見せてくれます。




カウンタック ストーリー 3

lp400red.jpegカウンタックをとてもエキゾチックにしているその最たるものは、ルックスでした。くさび形の全体形、そして、ガルウィングドア、NACAダクトと四角いポップアップヘッドライトのような特徴は目をみはらせるだけでなくて、未来的に見えもしました。

カウンタックが目にとびこんできたとき、2つの印象がすぐに与えられます。まず第1に、世界の他のどの車よりも低いのでは?ということです。実際のところ、高さ42.1インチであり、カウンタックはフォードGT40とロータスエスプリを除けば歴史で最も低い車でした。

しかし、主観的には、それらよりさらに低いように見えました。

第2の印象、それは、速くとても強力に違いない、ということです。425馬力7リットルのV8により、GT40のレースバージョンは、出力で実際にカウンタックを凌いでいましたが、GT40はその柔らかな曲線で包まれたスタイリングが見た目の印象を和らげていました。

それとは逆に、オリジナルカウンタックは50馬力少なかったが(375馬力)、スタイル上のインパクトにより、40mphは速く見えました。したがって、ランボルギーニがジュネーブショーで「200mph以上の最高の速度」をうたったとき、大部分のジャーナリストはそれが本当にそうすることができると思っていました!

この巧妙なデザインは、マルチェロ・ガンディーニによって作られました。ランボルギーニミウラとウラッコのようないくつかの傑作をへて、彼は全ての才能を示す機会に飢えていました。

フェルッチオ・ランボルギーニ(ガンディーニの前の作品に非常に満足していました)は、彼にこの貴重なチャンスを与えました。


なぜ貴重か?


カウンタックが実用性やコスト以上に、スタイルとパフォーマンスを重視していたので、デザイナーの力を制限せずに設計する、完全な自由を与えたからです。

ガンディーニは、我々を失望させませんでした。彼のカウンタックLP500プロトタイプは、ジュネーブショーで圧倒的な注目をひきました。生産が1990(生産開始から、19年後です)年に止まる時点でも、それはまだ新しくて魅力があるように見えました。デザインがこれほど未来的でなかったならば、そのような業績は不可能だったでしょう。

カウンタック ストーリー 2

生産のためには多くの検討がなされる必要がありました。ガンディーニのデザインには、現実的には各種の問題がありました。メインテストドライバー、ボブ・ウォレスが秩序だって問題を片付けたとき、いわゆる「NACA」ダクトがエンジン冷却のために十分な空気を吸い込むために各々のドアの後に加えられました。

一対の大きい「エアインダクションボックス」が、同じ目的のために側面のウインドウの後にも加えられました。しかし、最も重要な仕掛けのうちの1つ、ガルウィングドアは、カウンタックのユニークな特徴として保持されました。

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ランボルギーニが1973年のジュネーブショーで再び車を示したとき、それは生産型により近かったのです。その次の年のジュネーブショーでは本当の生産型カウンタックを示しました。

そして、それは当初の5リットルの代わりに、およそ4リットルのV12を採用したので、LP400と呼ばれていました。より大きな5リットルエンジンは、技術的な困難のため、捨てられました。

LP400では、ヒート対策のためボディに多数のエアインテーク、アウトレットが設けられました。LP500のエンジンは5リッターであったが、より扱いやすい4リッターに換装されました。また、車体構造はテストドライブの際に剛性不足と判断されたため、セミモノコックからバードケージ(鳥かご)フレームにアルミボディを載せるデザインに変更されたのです。

これにより、剛性の向上と軽量化を同時に果たしています。マルチェロ・ガンディーニのオリジナルデザインに一番近い生産型であるLP400は、わずか150台しか生産されませんでした。

1974年4月に、最初のカウンタックは、ミラノの顧客に届けられました。

カウンタック ストーリー 1

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カウンタックのプロトタイプです。

フェルチオランボルギーニは彼自身のスポーツカー工場を設立することを決定しました、彼の心の唯一の考えは以下の通りでした。

フェラーリをやっつけろ!

3年以内に、彼はミウラ(美しく並ぶもののないスピードをもったミドエンジンV12スーパーカー)とそうしました。

最初のゴールにかなって、彼の次の夢は、これまでで最も速いスーパーカーを作製することになっていました。その車はどんな既存のルールに縛られないものでなければなりません。

したがって、彼はこの車を「カウンタック」と呼びました。この言葉はちゃんとした意味を持たなかったけれども、それは「感嘆」のローカル方言でした。それの意味するところはこうです。

「おや!!わあ、しかも見てください!」。

ミウラ、世界最速の車は、172mphを狙うことができました。カウンタックは、200mphを狙いました。そのスタイリングには誰でも気絶させることができるような演出をしなければなりません。これらの2つの基本的なゴールをするつもりで、フェルッチョ・ランボルギーニは、彼のエンジニアリングチームにプロジェクトを始めるよう命令しました。

カウンタックはチーフエンジニア パオロ・スタンツァーニの指揮下で開発されました。そして、若干の技術的な背景はミウラからひきつぎました。

設計図は、ジャンパオロ・ダラーラ(Formula 3のための有名なシャシーの専門家)によって書かれました。最初から、スタンツァーニは躊躇なく(最も高価でもある)多くの先進技術を選びました。そして、以下が含まれました:4本のカムシャフト、スペースフレームシャシー、アルミニウムによるV12ミドエンジン。

ほとんど同じ時期に、ベルトーネスタジオが、スタイリング担当に選ばれました。非常に幸運なことに、ヌッチオ・ベルトーネは若くて巧みなデザイナー(マルチェロ・ガンディーニ)をすでに手に入れていました。この男は、カウンタックのための本当に衝撃的なプランをつくりました。

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エンジンを搭載していない、いわゆる「カウンタックLP500」プロトタイプはジュネーブモーターショー1971で公開されて、すぐにショーのスターになりました。
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